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2018/09/29

サンディエゴでのTCT2018

れは5月。昭和大学横浜市北部病院の落合正彦教授からお声がけいただき、恐らく、世界中のカテーテル治療術者のあこがれであるTCTに招待していただくことができた。果たして私のような無名な人間がそんな場で講演などしてよいものだろうかと戸惑いはしたが、「まあ、気楽に思い出作りとして楽しんでください」との言葉に甘え、参加させていただいた。
西条からサンディエゴ(カリフォルニア)までどのようにして行くか。これまで、米国の経験は何度もあるが入国審査(TSA)や国際線から国内線への乗り換え(欠航や直前の振り替え、ロストバッグ)でトラブルを経験していた。通常、航空機はANAを利用しており、その場合は、松山―羽田―ロサンゼルス(またはサンフランシスコ)−サンディエゴのルートがあった。一方でJALは成田からサンディエゴへの直通便あり。ただし、B787の中型機でなんちゃってビジネスとエコノミー。今年から、TCTは参加費の負担を減らすため、一般参加費を2000ドルから400ドルに値下げするかわりに招待演者であっても交通・宿泊は自力で手配することになっていた。(もちろん参加費は無料)一番安くあげる方法としては、オークションでJALのマイルを購入し、そのマイル特典航空券を利用する手段があったが、席数が限られること、JALは基本的に利用しないため見送った。
JALの成田からサンディエゴ直行便を選んだものの、Jetstarの松山―成田便は往復とも時間帯が悪く、それぞれ1泊する必要あり。結局、いつもの東京ルートである西条―渋谷の夜行バス、渋谷−成田のリムジンバスを使用して成田からサンディエゴに飛んだ。それぞれ10時間40分、2時間、10時間40分。予備時間をいれて24時間の移動であった。残念ながら往路は東急バスの新車(日野セレガの特別仕様車)。見た目だけはゴージャスなものの、乗り心地は最悪でさらに30分も延着した。京浜急行との共同運行時代は「せとうち30分早着、京急定刻」であったが、東急はさらに酷く「東急30分から60分遅れ」が常態化しているため、注意が必要である。乗り継ぎは便利で、渋谷マークシティの91番線がパイレーツの発着、92番線が成田行きリムジンバスの発着場であったため、乗り換え5分、スーツケースの移動距離10mであった。
サンディエゴは空港から中心部までが非常に近く、Uberで簡単に移動できた。途中、退役した空母ミッドウェイ博物館を見学し、ホテルへのチェックインと会場へのアクセスの確認、3泊分の買い出し(ミネラルウォーター、食事、トマトジュース、100%ブラッドオレンジジュースなど)を行ったところでダウンした。まあ、この国の食べ物は総じて「餌」と割り切るしかない。一番期待できる「日清カップヌードル」「マルちゃん焼きそば」までも、それぞれ味がない、甘い、と最低であった。おかげで滞在中に3kgやせることができた。
講演の日。朝630分に会場で受付を済ませ、開会式に参加。体育館よりも広い会場での大スクリーンに、米国の国力を見せつけられた。いつも国内学会で行っているように、資料のセントラルサーバーへのアップロード、会場での再生環境のチェック(特に動画や音声がある場合にトラブルが多い)後、すこし修正。どこを見渡してもいわゆる「外人」。白人、黒人、中東系、アジア系、インド系・・・2時間ほどしてようやくはじめての日本人(佐賀大学の挽地教授)とお会いすることができ、記念写真を撮っていただいた。PCITAVIMitralClipDVT、補助人工心臓であるImpellaなどのライブ、そしてスタジアムほどもある展示ブースの見学後、自分の出番。この学会はかなり時間に厳しく「時間を厳守すること。自動的に持ち時間30秒となったところで最後のスライドを映します」という注意書きまでご丁寧についていたがDiscussionは延長が可能という矛盾するもので、前のお二人の先生方(CTOに関するもの、Debulkingに関するもの)のDiscussionが長くなっており、自分のところは質疑応答も少ないだろうと安心して壇上にのぼり、時間厳守の12分間プレゼンを行った。ちゃんと笑っていただけるところで笑っていただき、質疑応答、フロア(なんと湘南鎌倉総合病院の斎藤滋先生)からの質疑応答というより、補足説明もいただき、無事に大役を果たすことができた。「心配だからちゃんとその場に居てやるよ」とお疲れのところ、最前列で応援くださったいわきの山本先生、本当に心強かった。
それなりに、スライドの写真を撮って下さっていた方も多く、段から降りたあとも、多数の先生方からHow Toの質問を頂くことができ自分としては久々に100点をつけてもよいプレゼンができた。
同日は演者3名と座長の落合教授の4名でディナー。太平洋に沈む夕日を眺めつつ、カリフォルニアのスパークリングワインをロブスターとともにいただいた。

翌日はひたすらライブを鑑賞。合間には知人の先生とパスタランチ。1ドルから利用できる電動キックボードで快適にホテルと会場を往復していたが、これは歩道と車道のどちらを走るか迷いもの。その日は歩道を20マイル(時速30km)で走っていたところ、なんと転倒し、膝、顎、右胸部を打撲。米国ではスーパーで普通に日本では医薬品となるものが売られており、それを購入し、Aid。けっこう痛くて参ったが、慣れない革靴による靴擦れで血まみれになっていた自分にとって、電動スケーターは手放せないので最終日まで乗り続けていた。絶対に日本では法律や利害の関係から普及しないだろうなあ、これだから世界から取り残されていくのだろうな、と感じた。夜は日本からいらしていた先生方とDinnerUber20分ほどのところにあるアジアタウン内の日本食レストランをいただいた。メキシコのウニは非常に美味だった。沖縄出身で英語も堪能な明るい日本人のお姉さんの接客はとても心地よかった。
 
最終日、3時間前までには空港に着いておいた方がよいとのアドバイスを頂き朝6時にUberを予約。とても感じのいい女性ドライバーが運転する日産アルティマで空港へ。いろいろ事情があり、スマートフォンを複数台持っている私と落合先生はTSAで「厳密な検査」を受けたものの、通過することはできた。JAL787は機材の整備に時間がかかる、と相次ぐDelay announcement。突如としの搭乗開始に備え、二人ですぐ近くのスタンドに向かい、Wild Turkeyを頂いていたところ、搭乗がはじまり、2時間遅れで出発した。
乗り継ぎがあるので、出発が遅れてもいいが、燃料を多く焚いて到着の遅れは最小限にして欲しいとグランドスタッフやCAさんに要望したものの、強い偏西風と成田の悪天候により、結局着陸は1時間50分遅れとなり、さらに荷物が出てくるのも遅く、バスに間に合わない状況となってしまった。落合先生が手配されていたレクサスLS600のリムジンで渋谷まで送っていただきバス停についたちょうどそのとき、見慣れた水色のパイレーツ号が入ってきた。首都高渋谷線、東名の大渋滞にもかかわらず、定刻20分まえに西条登道に到着、シャワーを浴びてそのまま病院に出勤した。途中の駿河湾沼津SAでゲットしたカルビ焼肉丼をおいしく感じたことは言葉に表せないレベルのものであった。

濃密なアメリカ出張は非常に有意義であった。2日目の夜、ホテル近くのバー(Gas lamp quarterにはたくさんのJazz Barがある)でJack Daniel’sを傾けていて隣に座ったAmericanは「我々は星条旗のもとに全ての文化、人種、信条を受け入れる。それがこの国の力だ」と言っていた。いやいや、異文化を徹底的に排除しているではないか、と言い返したが、いや、それは時と場合による。必要に応じて、俺たちは団結する、と返された。やはりアメリカは大国である。星条旗とイーグルのもとに団結する力は独立戦争、南北戦争、そして世界大戦を経て強くなってきたのだろう。横暴な国ではあるが、嫌いにはなれない。

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